普通って

今日松屋でビビン丼食べながらまた例によってしょうもないことを考えてた。発端は俺の周りには変わってる人が多いなーって思ったこと。

それから分からなくなったのが、結局「変わってる」人ってどんな人よってね。何を以って変わってるとか考えてるのか考えたんだけど、逆に普通の定義を考えてそれに当てはまらない人が変わってることにしようと思った。でも今度は普通の定義ってなによってね。しばらく考えて、何かスポーツやってて変なプレーするなーって人を見るが、変なプレーってのはセオリー通りに動かないことを指すと考えて良さそうだということに気づいた。

とすると、普通の人ってのはセオリー通りに行動する人で、変わってる人ってのはセオリー通りに行動しない人。でも日常生活においてセオリーなんてものは存在しないわけで、何がセオリーになってるいるのか考えてみた。


多くの場合セオリーってのは自分なんじゃないかな。


自分ならこうするというのが潜在的に基準になってて、意識はせずともだれそれは変わっているという風に考えてしまうんじゃないかな?もちろん例外は存在するけど、こう考えたら世の中は自分とは違う人しかいない訳で、本質的にみんな変わってる人ってことに・・・。まぁ俺の場合はあてはまってるけど。


なんか他に良い意見のある人がいたら教えてください。