何を今更嘆いてるんだ、頑張れよっていう独り言

1, 2ヶ月ぶりくらいかな、自分の平凡さに挫折を感じたのは。

仕事のやり方とか業界の専門知識がついてきた。先輩の助言を受けながらで、過去に先輩が担当したプロジェクトを参考にしながらで、できたものは間違いだらけだけど、一つの書類をなんとか一人で形にできるようになってきた。英語のリスニングのトレーニングもいつになく続いている。資格試験の勉強もしている。

ほんとに少しずつだけど、自分に成長を感じて、そんな日々にそれなりに充実感を感じてた。でも、やっぱりそんな簡単には平凡を抜け出せないね、俺。折れるのはいつも少しばかり自信をつけた後だから、自信なんか持たなきゃ良いんじゃないかとも思った。学ばないね。もう諦めろよって。

でも、それで良いのか?って。
良くない。俺はこれでいい。

経験上、俺はうまく行ってると思ってることに対して、反省をしない。だったら、どんどん突き落とされて、どうしたら良いか考えさせられないといけない。一回の反省で急成長できるような才能のある人間ではないから、これから何回も何回も折れるんだろうね。経験したこともない大きな挫折を味わうこともあるんだろう。

正直、平凡なくせにいっちょまえの自尊心を持ってることで苦しんでる。そんな自尊心捨てちまえって思うこともよくある。死なない程度にまだまだ苦しまないと。まだ仕事を初めてたったの半年だよ。職場環境にも恵まれてる。

頑張れ、俺。

色んな将来の自分がいて良いじゃない

さて、久しぶりにブログを書こうと思ってブログを開いたら、次回につづくってエントリーを書いてて、もちろんそんなこと全然覚えてなかったんだけど、気にせず関係ないエントリーを書こうかな。こんなはずではと悩んでしまった俺が考え事をして、なんとなく心が休まった考え方を書いてみようかと。

将来の自分なんてどうなるか分からんって思えると、執着してしまう自分を抑えられるんじゃないかな? と。

今あるべきだと思っている状態を無理に守ったり、つかもうとしても、将来の自分にとってそれは理想じゃないかもしれない。考え方なんてすぐに変わってしまうんだから。

理想通りの道を歩んできてる人についてはそれで全く問題ないと思うし、純粋にとても羨ましいと思う。ただ、理想とずれ始めて焦ったり、もがいてる人は自分の生き方に対して決め打ちしてるから苦しくなっちゃうんじゃないかと思う。もっと楽に考えた方が良いんじゃないかと。色んな将来の自分があっても良い。

そんな考え方が少しずつ身に付いてきた。

俺の納得のいく理想像ってなんなんだろう その1

久しぶりのエントリー。ぼちぼち仕事が忙しくなりそう。

最近よく考えるのが、人生を通して自分はどうなりたいのか。結局答えは出てないんだけど、現状にたいして目的意識や問題意識を持って、なるべく早く、納得のいく理想像をもつことが大事だなと思った。

仕事をするようになって、学生時代は知らなかった自分の一面が見えてきた。俺は思ってた以上に自己実現欲が強いようだ。早く仕事を覚えたいし、自分が変えたいと思ったことを自由に変えられるような立場になりたい。ビジネスマンとして、社会から求められる人間になりたい。それを実現するために今は努力をしてるし、充実感も感じている。

ただ、今描いている理想像は、自分なりに納得のいくものではない。充実感といっしょに、違和感もつよく感じている。おそらく、俺が幸せでいられる第一条件が「さみしくないこと」で、今の理想像にむけて突っ走ると、俺が思う「さみしい」状態に最終的には突っ込む気しかしないからだと思う。

つづく

感情に立ち向かう術を身につけなきゃ身が持たないから、頑張って模索しようっていう決意表明。

人間関係の問題は、明確に善悪をつけるのが難しい。ってか、無理なんだろうね。無理ながらも、自分なりに折り合いをつけながら生きていく術、器用さを体得しなければいけないみたいだ。

先日、会社の人間関係でちょっと嫌なことがあった。同期や先輩に相談すると、みんな俺に非はないと言ってくれた。ただ、父親に相談すると、一概にはそうとも言い切れないというか、向こうの気持ちも理解してあげないといけない面もあると言われた。

ただ、相手の気持ちに想像を巡らせたところでさ、腹立つ事はやっぱり腹立つよ。

大学在学中、みんな違う経験をしてるから、それぞれ違った価値観を持ってるものだと実感した。しかし、会社という組織には、それ以上に異なる価値観をもつ人がいることを認識させられた。

価値観が違う以上は、それぞれの当たり前が違うわけで、相手が気に入らないことを知らぬ間にしてしまうことがある。相手にマイナスの感情を持たれては、自分に対する少なからぬマイナスの空気を感じることもあるだろう。そこでイチイチ腹を立てたり、落ち込んだりして、いつまでも引きずってちゃ身が持たない。

経験上どんなきれいごとを並べても、この類いの感情を押さえ込む事はおそらくできない。感情の問題に理屈で対処できるほど人間はうまく出来てない。会社生活を送る中で、そういったストレスとのつきあい方を体で覚えていく必要がある。

適切なハードルの設定

何かを習慣付けようとするとき、適切なハードルを設定するのってすごい大事な気がする。

今まで俺は新しいことを習慣づけるという試みを幾度となくやってきたけど、全てと言っていいほど失敗してきた。社会人になり、新聞を読む習慣は必須だろうということで、また挑戦している。今までなんで失敗してきたかを考察してみると、最初からハードルが高すぎたせいなんじゃなかろうかと思った。

新聞を読むことを例に考えてみると、今までの俺は、全部ちゃんと読もうとして挫折していた。でも、とりあえず「新聞を読む」という行為を毎日続けることが重要なんだと思う。そのためには、ハードルをガン下げしてやる必要がある。という訳で、見出しだけ全部読み、関連業界や、興味ある記事だけ流し読みで概要だけつかむようにしている。経済面など、教養のために読んでおきたいものもたくさんあるが、そういうのは特に時間を食われるから我慢。

ハードルを適切に設定してステップアップしていきたい。

心の悪い習慣が改善され始めた

会社入ってから学歴が関係あるのかないのかはまだ分からないが、学歴という過去のもの、今の自分の能力とは関係ないものに捕われていては、100害あって一理なしという考え方が身に付いてきた。

内定が決まってから今に至るまで、まだ自己紹介をする機会は何度もあって、その度に出身大学を紹介していた。その場面で自分の大学名を紹介することに、誇りと後ろめたさを同時に感じていた。東大に入れたことは自分でも誇りに思っているけど、実際社会が想定している東大レベルの能力を自分は持っていない。だから、紹介したい気持ち半分、したくない気持ち半分だった。自意識過剰なだけかもしれないけどね。

先日、配属先を決める面談があった。自己紹介をしてもらうよとだけ人事の方から伝えられていた。同期で話し合って、何を喋るべきか考えてたんだけど、第一に出身大学が挙げられた。その時自分が何を思っていたかは忘れたけど、面談のときに俺は出身大学を言わなかった。みんな「〜大学出身の○○です」という冒頭だったから、「新入社員のしゃくれです。」と言った俺はちょっと不自然だった。ただ、いつも感じる後ろめたさはなかった。

そう思えるようになってからは、なにかが吹っ切れた気がする。それまでは、プライドが邪魔をして、努力をしている自分を人に見られたくなかった。努力をしない俺なんて、平凡以下の人間なのに。でも、最近は過去の自分という縛りから少しずつ解き放たれてるのを感じる。今の自分で勝負するために、かっこ悪いかもしれないけど努力できる。人に馬鹿にされるような教えを請う必要があるかもしれないけど、今なら請える。大学時代に染み付いてしまった悪い心の習慣が改善され始めている。

安定志向と上昇志向の分類だと不十分じゃないかと思って新しい分類を考えてみた

最近「安定志向とは」を考えさせられる話が何度か出たため,自分なりにもうちょっとしっかり考えてみた.

これまでは安定志向の対義語は上昇志向だったんだけど,そのあてはめ方が適切じゃないと思い始めた.というのも,安定志向の最大の特徴を上げろと言われれば,「変化を恐れること」だと思う.それに対し,上昇志向の最大の特徴は「成長を追い求めること」であって,それは必ずしも「変化を好むこと」ではないと思う.というわけで,安定志向と上昇志向による分類分けというのは,あまり適切な方法ではないんじゃないかと思う.

上昇志向の人は,概して「勤務地は選びません」とか「どんな仕事でもやります」とか言っていると思うけど,それは変化を好むからじゃなくて,それが成長につながると思っているから.成長に関する損得勘定を抜きにして,純粋に変化を好む人というのは,それなりの人数居るんじゃないかと思う.というわけで,この「安定志向とは」という考え事で,自分なりに腑に落ちた結論をちょっと図示してみた.

「安定志向」の反対は,刺激を追い求めていたい「刺激志向」で,「上昇志向」の反対は,楽しければそれで良い「快楽志向」という分類が適切じゃないかと.それのどれにも属さない人は,ただの「無志向」.この分類の仕方だと,安定志向と上昇志向が両立出来て,ちなみに俺はこの分類表で言うと左上に属すると思う.自分を正当化したかっただけじゃないか,というご指摘は甘んじて受け入れます.笑

さて,みなさんはこの図のどこに分類されますか?