社会人に向けての不安を綴っていたら予想外の方向に話が進んだ

卒業論文も提出し,これから社会人になるのに漠然と不安を抱えている日々です.そこで,ちょっと今抱えてる不安を出来るだけ具体的に書き出してたら,書きだしていく中でちょっとポジティブな方向に話が動いていった.まとまりは無いけど,考え事の系列に沿って晒してみる.

・人とのコミュニケーションは好きだけど,それは友達付き合いのように利害の絡まない関係においてだけ.話す時自分が常に評価されていると思うと,すごくストレスを感じてしまう気がする.てか,現時点でそれを想像してストレスを感じている.仕事上の人間関係では,友達付き合いのような寛容さは無いだろうなと想像して物怖じしてしまう.

・上のことにストレスを感じてしまうのは,やはり根本的に自分に自信がないからだと思う.自分が仕事をうまくやれるはずがないと思っているからこそ,それを人に見破られ,評価を落としてしまうことを恐れている.

・これまでは,能力の評価にテストの点数という分かりやすい指標があった.それはお勉強の出来に対する評価で,それに関しては人並みにはできた.それに対して,仕事を要領よくこなすという面では,これまでのお勉強での評価ほどには出来ない.それを自分で何となく分かっている.今までは人並みに出来て,そこそこに評価してもらえてきたからこそ,これからの自分の仕事に対する不安を助長してしまう.

・今俺が想像している仕事ができるできないの判断基準は,優先順位の付け方,マルチタスク能力,決断力,大局観といったとこかな.たぶんこの仕事能力の判断基準として挙がってくるものは,自分が苦手だと感じているものなんだと思う.自分がそこそこ出来ると思っていることは,仕事能力の判断基準としては挙がってこない.これもやはり自信がないからだな.

・「自信がない」って思う予防線を張っておけば,失敗して凹む時はただ傷つくだけで,「自信を失って傷つく」ことは回避できる.だから,俺は自信がないといつも言ってるし,思ってるんだ.ただ,ちゃんと考えてみると,自信がないことで生まれるストレスというのもそれなりにあることに気づいた.試しにもっと自信を持ってみよう.

さて,いつまで続くかな.笑

卑屈な自分とちょっと新しい自分

こんばんは.もう12月も半ばですね.長かった学生生活もあと3ヶ月ちょっと.まだまだ学生を続けたいような,早く社会人になって経済的に自立したいようなといった感じです.

今年の夏,僕は来年からは広島で働くこととなりました.あれから,内定式の日程を勘違いして内定式に出られないという,人生で最大の大チョンボを経験しました.日常生活のなかでもおっちょこちょいな自分が,あと4ヶ月後には社会人になるなんて信じられません.

そんな不安を抱える僕ですが,ちょっと前から仕事に対する意識が変わりつつあります.まだ仕事をしたことないですけど.

今までは仕事なんて適当に最低限やって,プライベートを充実させたいと思っていました.そういった考え方は,どうせ自分なんかが頑張ったところで,誰のためにもなれないといったネガティブな思考が,いつの日からか僕の中に染み付いていたからではないかと思います.

大学に入ってからというものの,周りの有能さ,自分の無能さを痛感し,劣等感を感じる日々でした.自分なんて誰にも必要とされない,頑張ってもどうせ周りのようには出来ない.自分の非力さを感じるたびに,すぐに卑屈な自分の中に逃げ込むようになりました.自分の心を守るための本能が働いたのかもしれません.そんな自分だったため,就職活動中は,「どうせ仕事なんて」といってどこか擦れているような節がありました.

しかし,最近では,こんな自分でも頑張れば人の役に立てるかもしれない,という希望を持てるようになってきました.研究室でも経験が豊富な部類に入るようになり,実際それなりの専門知識も身に付いて来ました.研究室の後輩の質問に答えて感謝や感心をしてもらったり,教授から僅かばかりですが,自分の出した成果を認めて下さる言葉を頂けるようになったりするうちに,しばらく味わっていなかった感情を抱くようになりました.人の役に立てる,人に認めてもらえるという充実感です.まだまだ卑屈な自分は抜けませんが,自分でも頑張って何かを続けていれば,それなりにやれるかもしれないと思えるようになってきました.

結果として,「どうせ仕事なんて」と斜に構えたりしないで,挫けるまで頑張ってみようじゃないかと考えるようになりました.考え方が変わった以上,昔の価値観で選んだ自分の就職先が,本当に今の自分に適した場所なのかどうかは分かりません.しかし,そこがどんな場所であろうとも,若いうちは精一杯頑張ってみようと思います

自分らしさ

久しぶりにエントリーしてみようかな。

みんなそれぞれ自分なりの自分らしさを持っている。自分らしさを決めて生きていたほうが、いろいろ決断するときに楽だし。でも、そんな自分らしさとは矛盾する自分に出会うことがある。知らない自分に出会って戸惑うこともあれば、喜ぶときもある。そんな出会いがあるのは、さまざまな経験によって自分らしさは簡単に変えられてしまうから。自分らしさというものは意外と貧弱なもので、俺みたいに経験不足の若造のもつ自分らしさなど、固執するまでもないのだろう。

これから就職、結婚、出産、親の死などを経験していくにつれ、自分はどんどん変化していくはず。人生における大きなイベントをほとんど経験していない今、自分を決めつけずに自由に生きられる人間でありたい。

陳腐なことば

世の中には陳腐なことばがあふれている。それは格言や名言であったり、歌の歌詞だったりするんだけど、どうしてこんなにも陳腐なことばに繰り返しこころを動かされるのだろうかと思った。

人はつねに自分のことを正当化したいと思っているからだろうか。ありのままの自分でいたいと思いながらも、無理してしまったり、自信を持ちたくてももてなかったり、そんな自分にとって、トップシンガーや有名人などのことばは強い影響力をもつ。そんな影響力をもつ人物のことばである必要はないかもしれない。とりあえず同じ事を思っている人がいるだけで、自分だけじゃないんだって気が楽になる。

心の奥底では常に何かに怯えているのかもしれない。自分の存在を認めるために、自分だけじゃないってことを確認するために、そんなことばを何度もむさぼる。

失敗と後悔

人は生きている間一時的な価値観を持ち続け、その時々の価値観で良かれと思う行動をする。
時間が経ってなんて愚かだったんだろうって思うこともあるかもしれないけど、そうじゃなくって、それはその時の自分にとっては必然。
もうそんなことしないって思えたらそれは成長したってことで、後になって失敗しなくてすんだんだから、いい経験をしたってこと。
失敗を悔やむな。同じ失敗を繰り返さないようにしよう。


過去を振り返り、後悔の念に苛まれる時、俺はいつもこう思うようにしている。失敗をいつまでも悔やんでても仕方がない。

人との比較、自分との比較。

以前から自分のコンプレックスについて悩む度に思い至る結論は、他人との比較が無意味だということ。結果的に毎回同じことを確認するくせに、そのコンプレックス周りで何かあるたびに思い悩んでしまう。

俺は自分のことを自己中心的だし、要領も良くない、不注意だし、記憶力が良いということもなく、気転も効かないし、面白いことも言えないと思っている。そんな自分でも自尊心は当然ひとなみに持ってるし、どんな時でも人から良く思われたいと考えている。卑屈になることで予防線を張る自分。卑屈になりながらも自分をより大きく見せようとする自分。矛盾しているともいえる2つの感情を心に抱いてるからこそ、いつまでたっても悩みつづけてしまう。

そう悩んでる時って、必ず人と自分を比較してしまっている。悩んでる時もそうだし、悩みから抜けだそうとするときもそう。自分の色んな能力を思い浮かべて、あいつには敵わないと悩み、でもココではそいつに勝てると思って気を紛らせる。中には何も敵わないと思う人間もいる。そういう人に対しては憧れの念を抱くと同時に、劣等感を抱いたりもする。それが自分に近い存在であるほどその傾向は強くなってしまう。

でも結局は自分より上を見たらキリがないし、自分より劣ってる人を探して気を紛れさせようとしたところで、それは根本的な解決策にはならないし、そんな器の小さな自分にふと気付いて虚しい気持ちになってしまうこともある。自分のなかで勝手につくりあげた身の回りの人間の序列なんて意味がない。やっぱり他人と比較するんじゃなくて、昔の自分と比較しなきゃいけないよね。それは昨日の自分でもいいし、先月の自分でもいいし、去年の自分でもいい。昔の自分を超えていければそれでいい。昔の自分と競争して、自分の成長に目を向けてよろこびを感じられる人のほうがよっぽど幸せだよね。

詭弁だと言われればそれまでだけど、それは1つの大きな真実なんじゃないかと思う。

言葉遣いに対する違和感

自分が飲食店の店員をやっていたこともあって、飲食店に行ったときには、店員に対して紳士的というか、丁寧な言葉使いや心遣いで接することを心がけている。その方がサービスする側からしても、気持よく接客できるしね。

ところが、俺の主観では主に中年以降の男性のなかに、こういう考えじゃない人が多い気がする。金払ってんだからっていう定番の理由と、飲食店等の店員を舐めてるっていうのも大きな理由だと思う(多分これはもっと当てはまる業種がある)。金払ってるんだから、その対価として食べ物を作ってもらったり、サービスしてもらったりする権利はあるけど、別に偉そうにして良いわけじゃない。そりゃラーメンにゴキブリ入ってたとか、そういうことされた場合にはまた話は別だろうけど。

理屈だったらもう少し付けられるけど、とにかくそういう人が近くに居ると気持よく時間が過ごせない。