後悔と哲学

俺は「後悔」をしないために、その時々で確かな哲学(=価値観)を自分なりに持っておく事が大切だと思う。

自分の哲学は様々な経験に影響を受けてゆらゆらと変わり続ける。だから、当時の自分の哲学から導き出した「答え」(自分のとった行動)は、必ずしも過去を振り返っている時の自分の哲学から導きだされる「答え」と一致するとは限らない。ここで「答え」と強調した理由は、「答え」と「正解」を別物だと考えているから。この「正解」というのは1+1=2といった100%正しい事実を指す一方、「答え」というのはその時選んだ自分の選択を指す。自分の行動規範である哲学から導かれた決断というのは紛れも無い「答え」ではあるが、それは必ずしも「正解」であるとは限らない。むしろ、人生の選択に「正解」というものは存在しない。

人生は選択の連続。つまり、人は「正解」の無い問いの「答え」を考えながら生き続けなければならない。人は選択を迫られる度に「答え」をどうにか出し、あとでそれを振り返り後悔したり、しなかったりする。俺が思うに、その時出した「答え」が自分の確かな哲学を基に出されたものであれば、結果がどうあれ当時の自分が選べる最善な「答え」だったのだから、しょうがないと考える事ができると思う。もちろん何でもかんでもそうとは限らないのは間違いないが。

俺がこう思う根拠は、この1年で経験した自身の恋愛経験にある。今からちょうど1年前、俺は3年弱一緒に過ごした彼女に別れを告げられ、自分のどんな所がダメだったのかを考えるようになった。その結果生まれた俺の恋愛観というのは「努力や感謝を怠らない事」だった。そして、この1年で俺はいくつか新しい恋愛をし、やはり別れを経験した。しかし、1年前の別れとこれらの別れとで決定的に違っていることがある。それは、全然後悔がないということだった。もちろん付き合いの時間が全然違うから、正当な比較にはならないかもしれないが、1つの事実としてそれはある。自分の中で恋愛を長続きさせるためにすべきことを考えながら相手と向き合った結果に対して後悔はない。

ここで注意が必要なのは「後悔をしない」ことと「反省しない」ことは別問題で、結果が出る度に反省をする事はすごく大切な事だということ。ここ1年の経験で新しい恋愛観が生まれたし、それによってまた新しい恋愛に関する哲学が生まれた。このように、恋愛に限らず仕事や人生に関する自分の哲学は時々刻々とアップデートされ、より洗練されたものになるのではないだろうか。

自分の人生に関わる大きな決断を、後悔する事無く迅速に行うために、拠り所となる自分の哲学を持ち続ける事は大切なことなのかもしれない。