油断大敵

私は、人によってかなり行動が変わる人だと思う。
先輩と接するとき、後輩と接するとき、同年代の友達と接するとき、恋人と接するとき。

最近私は恋人に振られたのだが、今思うとどうしてもっと彼女を大切にしてあげられなかったのだろうと思う。先輩、後輩、同年代。それぞれ相手によって接し方を変えて相手が喜ぶように頑張っているつもりだ。かなり自己満が入っているが、相手がそれで喜んでくれたらそれで自分もうれしいからだ。それなのに恋人に対しては時間が経つにつれてそういった努力をしなくなる。ある程度これは仕方のないことなのかもしれない。付き合いが長くなればなるほどお互いの気心が知れてきて気を抜いてしまう。ほとんどの人がそうなんだろう。

だが恋人に対して気を抜いてしまうというのはどういう了見だろう。「友達以上恋人未満」といった言葉があるくらいだから、恋人というのは友達以上の存在なのではないだろうか?別れた彼女がそういった存在だったのだが、ほとんど夫婦みたいな関係だった。まぁ実際に結婚したことがないから勝手に自分で抱いていた夫婦像のような関係だが。

なぜ気心が知れてくると、最も大切な人である恋人が喜んでくれるような努力をしなくなるのだろうか?その理由について今まで考えたこともなかったのだが、その答えは元々知っているものだった。それは自分のことを好きになって欲しいという本能なんだ。

人は誰も一人では生きていくことは出来ないわけで、社会の中で多くの人と接して生きている。なかには違う人もいるのかもしれないが、基本的に人に嫌われたいと考えている人はいないだろう。どんな相手と接していようが、心の奥底では人に好かれたいと思って人と接しているはずだ。だから出会ったばかりの人に対しては、この人はどうやったら自分のことを気に入ってくれるだろう、そこまで考えないにしても、どうやったら嫌われないだろうかといったことを考えて努力をする。

しかし、気心がしれてしまうとどうだろうか?自分も含め長く付き合っている恋人、友達には嫌われることはないと安心しきっている。だからあえて人に気に入ってもらおうと努力をしなくなってしまう。ここで恋人とは別れることはあっても、友達と別れてしまうことはほとんどないことに気づく。これは恋人と友達では付き合いの深さの違い、相手に求めるものの違いがあるからだと思う。

恋人として人と付き合っていると、友達よりも深い付き合いをすることになる。そうすると、友達として付き合っている以上は大して気にしないことまで気になってくる。または友達として付き合っている間には気づき得ないことに気づいてくる。その気づいてしまうことに致命的なものもあれば、そうでないものあるのだろうが、元来恋人のほうが友達よりも不満がたまってしまいやすい性質がある。

そういった不満がたまった結果として、自分にとって当然の存在になっていた恋人から突然別れを告げられてしまい、自分にとって相手がどれだけ大切な存在だったかを気づかされる。もちろん別れの原因はこんな単純なものではなく、様々な事情が絡んでいるわけだが、どうして今までもっと大切にしてあげられなかったのかと後悔をする。どれだけの人がこんな当たり前のことを繰り返していることだろうか。私もその中の一人である。

今回の失恋で学んだ、恋人と長続きする秘訣は
・努力を怠らないこと
・お互いに不満はいうようにすること
この二つは両方とも欠けてはいけないことだと思う。努力を怠っていては、相手から不満を言われても直す努力をしないだろうし、努力をしていても不満を言わなければ、相手へのストレスは溜まってしまう。

お互いが幸せに暮らすためにも、油断大敵である。

なんか書きながら思いついたこともたくさんあるからまとまらない文章になってしまったが、今回のエントリーはここまで。それでは。