愛とは

先日いとこの結婚式に出席してきました。物心ついてから結婚式に出席するのは初めてで、「結婚式 タブー」とかググって予習してから結婚式に向かいました。

場所は舞浜。初めての一人舞浜。おそらく最初で最後の一人舞浜ではないだろうかとしょうもないこと考えてた。(笑)舞浜駅からディズニーリゾートラインに乗り込み、ベイサイドホテルだっけかな?とりあえず、ランドもシーもない駅で下車。電車の中ではいろんなリア充の方々を尻目に論文広げて読んでやったぜ!

久しぶりに会ういとこ含め親戚がいて、みんな大人になっていたがなかなか懐かしかった。団欒や親族紹介、写真撮影を終えていよいよ結婚式。一面ガラス張りの教会に移動し、外人の牧師さんが出てきた。この人がまた超はまり役の牧師で、やっぱ牧師ってこうでなくっちゃねーとか一人で考えてたら牧師さん普通に良いこと言っててちょっと感動した。

新郎新婦に向けて牧師さんの言ったことで印象に残っていること(ちょっと牧師さんが言ってたのとニュアンスが変わってるかも)。
牧師さんの言葉:「愛とは許すこと」
しゃくれの勝手な解釈:どんな相手でも不快に思ってたり、嫌に思っているところがいくつかがあるものである。その嫌なところは相手の一部分であって、相手の良いところに目を向けることで、相手のことをトータルで好きになることが出来る。これが愛なのではないだろうか。
これは友達にも言えることと思うだろうが、夫婦は友達とは比にならないほど密な関係である。この密な関係を築いていく過程で、当然相手の嫌な部分にたくさん出会うはず。しかも夫婦は一生を共にするパートナーであり、友達と一生そばにいる人ではハードルの高さもずいぶんと違うであろう。その相手への不満を乗り越えていくために必要なこと。それは相手を許すこと。それは愛。

牧師さんの言葉:「みなそれぞれ毎日忙しい。夫婦生活とはそんな生活のうえに付け加えるものではない。それぞれ自分のなにかを犠牲にして埋め込むもの。」(←牧師さんオリジナルの言葉とはだいぶ離れてるかも笑)
しゃくれの勝手な解釈:これは上の言葉にもつながると思う。誰しも多かれ少なかれ自分のやりたいことを持ってたりする。それは他の人がいては邪魔になってしまうものかもしれない。一人で読書をする、一人でインターネットを見る、友達とサッカーをするなどこれまでは当たり前のように存在した自分のための時間。しかし結婚して新しく家族を持つと、自分のための時間を割いて家族の円満に努める必要性が出る。そんなときに、相手への愛がないと我慢しきれなくなってしまうかもしれない。

ただでさえ忙しい日常である。一日の時間は24時間と決まっているのだから、新たに家族のための時間を上乗せすることは出来ない。家族のための時間をつくるためには、お互いにやりたいことをある程度我慢する必要がある。そのためには相手への愛が必要。












あなたは一生新郎(新婦)のことを愛し、敬い続けることを誓いますか?












牧師さんの「愛とは何か」の言葉を聴いたら、この結婚式で必ず聞くフレーズは思ったより重いもののような気がしてきた。

最後に、本当に新婦のいとこは今まで見た中で一番きれいで輝いていた。
家族への言葉も本当にいいことを言っていて、思わず私も泣いてしまった。
この家族への言葉でもまた感動した良い言葉があったのだが、ちょっと話がぶれるためまた今度書くことにしよう。
ほんとうに誘ってもらえて良かった。一生二人が幸せなまま暮らして行けますように。