美丘に学ぶ

3週間もブログ書いてなかった.みなさんお久しぶりです.研究や勉強はそこそこに,就職活動や遊び,バドに精を出している僕です.最近研究室の先輩の小説を勝手に読ませてもらってるんだが,ちょっと前に話題になったような気がする「美丘」っていう小説を読んで思うことがあった.以後では大したことではないが,小説「美丘」に関する若干のネタバレを含むのでそれが嫌な人は見ないようにして下さい.


美丘は大学生の女の子.幼い頃交通事故に遭った際受けた手術が原因で,いつ発症するか分からない難病に感染している可能性があった.この病気は一度発症すると脳が破壊され始め,それに従い過去の記憶や体の使い方など全てを忘れていき,最終的には死に至ってしまうというもの.当然治療法はないという設定.美丘はいつ爆発するか分からない爆弾を抱えながら,いつでも今日という日を全力で生きている.小説の内容自体はよくある設定でベタな感じだけど普通に面白かった.今回「美丘」を読んでみて,今まで心に響かなかったあるフレーズに対する印象の変化が俺に起きた.


「明日死んでも良いと思えるように今日を過ごしなさい」


「美丘」を読みながらこんな感じのよく聞くフレーズが頭の中を巡っていた.人っていうのは同じ意味合いの言葉でも,言い回しの違いやシチュエーション,脈絡の違いなどによって,その言葉に対する理解度や心に響く度合いが変わるものだと思う.俺は今までこのフレーズを聞いても,明日死ぬというのがあまりに日常からかけ離れすぎていて心に響かなかった.しかし,明日死ぬということと美丘の立場は若干違うものの,自分の心と美丘の心を重ね合わせていると,自分が明日死ぬことになった場合,今日という日をどうやって過ごすだろうと考えるようになった.


自分が明日死ぬことが分かったその日,俺は今までお世話になった人,つまり家族や親戚,恋人や友達の所に行って感謝の言葉を告げに行くだろう.今自分はそんな状況に置かれている訳ではないから,実際明日お前は死ぬなんてこと言われたら,パニックになってどんなことするか分からんけどね.冷静な今だったらそれくらいしかやるべき事が見当たらん.


この事と就職活動を結びつけるのはあまりに強引かもしれないけれど,やっぱり俺の中で最も大切なのは自分の周りにいる人たちなんだなということで,仕事に追われるような職業は俺には向いてないだろうという考えにたどり着いた.ここまで書いて,忙しい仕事に就きたくないというこれまでの自分の考えを正当化してるだけに思えてきたのだが,父親の影響もあるせいか(父親も俺と同じ考え)どうも仕事に身を削るということに対して,アレルギーみたいなものを持っているからしょうがない.


結局何が言いたいのか分からなくなってしまったけど,とりあえず「美丘」を読んでみて,自分にとって最も大切なことはなんなのかというのを再確認出来たような気がする.