自分の発言に隠れた自分

最近の自分の発言などを思い起こしていて、自分の発言の中には、自分でも気づいていない深層心理が表れているという実感を得た。


自分の発言で、あぁ俺らしいなと思える発言がある。しゃべっていて何らの違和感も感じない発言。そういうのは、前から分かってたり、変わっていないキャラが表れる発言。でも、たまに自分の発言に若干の違和感が生じているときがある。自分でも、なんでそういう発言をしたのか分からないときがある。そういった発言を反省してみることで、自分の価値観の移り変わりを感じることが出来るのではないだろうか。


日々の暮らしの中で、誰かに憧れたり、誰かを憎んだり、何かに喜んだり、何かに腹を立てたり、様々な経験をしながら自分の価値観は移り変わっていく。自分はあんな存在になりたいとか、自分はあんな存在にはなりたくないとか考えることで、自分の理想像は少しずつ修正されている。


これまで認識していた理想像と、修正された理想像とのずれにより、自分の発言は無意識に変化していく。その変化に気づくか気づかないかの閾値は、理想像の変化の速さ。ここ数ヶ月の間、俺は就職活動という人生の岐路を迎えるにあたり、将来どうありたいのかを考えるようになった。身の回りの社会人の方々から話を聞いて、将来の理想像を模索している。人生で自分の価値観にこれほど向き合った経験はないため、今自分の理想像はこれまでにない激しさで変化しているはず。そんな今だからか、これまで感じたことがない、自分の発言の変化に対する違和感を感じている。


きっとこの閾値というのは、固定されたものではないはず。自分の発言に出来るだけ耳を澄ませるようにすることで、感度があがり、閾値が下がり、少しの変化でも見逃さないようになるはず。自分の発言の中には、まだ知らない自分がたくさん隠れている。新しい自分を見逃さないように、日々自分の発言にも耳を澄ませるようにしよう。