詭弁

本屋をうろうろしてるときに目に留まった一冊が面白くて1日で一気に読んでしまった。
香西秀信著 論理病をなおす!ー処方箋としての詭弁ー ちくま新書
最近の自分のブログが詭弁まみれになってきたんじゃないかっていう危機感があったせいか、詭弁という文字に何かが反応した(笑)

本書では、世にはびこる様々な詭弁が紹介されており、どういうからくりになってるのかなどの解説がされている。最後は、詭弁やそれに関わる学問というのがどういう存在なのか、ということに対する筆者の考えにより締めくくられている。以下本書の内容と自分の考えのミックスによる詭弁に関するあれこれ(必ずしも内容に則してはいません)。

人が何度も同じような過ちを犯してしまう(詭弁に騙されてしまう)のは、詭弁がある程度の正しさを持っているということと、感情(非論理)で動いている人間が論理的であろうとする特性による。明らかにおかしな事を言ってたら、それは詭弁ではなくてただの「でたらめ」であり、「うーん、確かに」っていうところがあるからこそ、それは詭弁となりうる。また、例えば墓石蹴っ飛ばしたあとに体調崩したりしたら、多くの人は2つの出来事が関係してるんじゃないかと考えてしまうと思う。このように、人間は論理的に考えれば偶然起こったはずの2つの出来事に因果関係を見いだそうとしがち。人間にそういう思考の癖みたいなのがあるから、悪い人がそこにつけ込んだり出来る。だから、詭弁に騙されるのはある意味人間らしいことなんだけど、それに毎回騙されていては、ちゃんとした生活を送っていくことは出来ないから詭弁を見破れるような能力は必要。

詭弁ってのは文字の通り一度看破されると信憑性が一気に損なわれる脆い論理であり、出来る限り使わないようにする方が良いんだけど、先述したように詭弁っていうのは一定以上の説得力をもつ。だから、多少強引でも良いから自分の意見を通したいときなどには、詭弁も1つの有効な手段になりうる(意見を通す相手は、自分かもしれないし他人かもしれない)。仕事の事でも人生の事でもなんでも良いんだけど、とりあえず動く必要が有る時に何かしらの理屈を立てた方が良い時っていうのはそれなりにあると思う。その動機となっている理屈がたとえ多少詭弁ともとれる面があるにしても、必ずしもそれを否定的に考える必要は無い。なぜなら、それは必ずしも誤りではないのだから。

詭弁について否定的な見解しか持たないのではなく、詭弁について学び、その良い面悪い面を知った上で上手に付き合うことが器用な生き方なのかもしれない。